Pile up my life

自分で考える練習

行き詰まりを感じているのなら、料理で多少スッキリすることもあるよ

私は今はほぼ毎日自炊をしているので、自分一人になれた時くらい誰かが作ってくれたものを買って食べたいという気持ちになる。そういう理由で自分のための自炊ってしばらくしていなかったのだけど、先日ふとその時食べたいものを考えて作ってみたら、思いのほか自分が癒された感覚になり、料理=セルフケア なのでは?と思うに至った。

 

その時の記事↓

oyasumi23pm.hatenablog.com

これを機に、今回の本を手に取ってみた。料理と心理的なことの繋がりについて深く知れればと思って読んだが、結論を言うと私の期待していた内容とは少し違っていた。この本は今現在自炊をしていない人に向けて、料理に関するさまざまな呪いを解き自炊のハードルを下げようとしてくれている内容だった。私は読者対象から少し外れていたかもしれない。

 

料理ってやろうと思うまでとても腰が重い。普段やらない習慣がついていると、なかなかメニュー決めから買い物調理洗い物片付けというこの膨大な作業量をやり切ろうとは思わない。慣れていないと時間も余計に掛かるから尚更。私は今でこそ抵抗なく始められるようになったけど、一人暮らしをしていた頃なんて自炊した時の方が少なかったと思う。

 

数年前に、Instagramで毎日3食全ての食事写真を投稿していたことがある。(目的はダイエット)
毎日3食なので、綺麗で美味しそうにできる日もあれば、ただの納豆ご飯だったり、前日からの味噌汁に卵を落としたり、残り物ですっかりしんなりして色が落ちたおかずもしょっちゅう登場した。時間が無くてサランラップのままの冷凍ご飯とたくあんみたいな時もあった。でもそれらも思い切って投稿してみてわかったのは、そういう気取らないものが閲覧者には案外好評だったということ。だんだんみんなこっちの方が見たいのでは?とすら思えてきた。

つまりそういう投稿に共感が生まれやすいということは、普段私と同じように映えも彩りもないような食事(=自炊)をしている人がたくさんいるということと言ってしまっても良い気がする。日常は地味で淡々としたものだ。みんな見せていないだけで、すごい料理家さんも人気インスタグラマーも、卵かけご飯をこよなく愛していたりするのかもしれない。

 

また、“食べたいものを食べる”というのも意外と難しいことである。お弁当屋さんで並んでいるものの中から好きなものを選べって言われたらすぐに選べるけど、何もないところからとなると自分が何を食べたい?何が好きなんだっけ?をパッと思い出すには訓練が必要だと思う。日々の献立を立てる時も、食べたいものというよりは、”変わった材料を使わず時間もそこまで必要としない、費用も抑えながら今の自分の料理技術で無理なく作れるもの”が優先して選ばれると思う。

 

そこで私は、前回の記事でも語ったMIYUさんの食べ方にすごくヒントがあるということをまた熱く伝えたいのだ。

oyasumi23pm.hatenablog.com

 

MIYUさんは、お店のケーキにスーパーで買ったイチゴをさらに加えて食べる。海老トマトクリームパスタの海老を多めにする。台湾カステラにホイップクリームを自分で泡立てて一緒に食べる。

この、「もうちょっと沢山イチゴ食べたいな」って気持ちを満たすことが創意工夫に繋がっているのが素晴らしいと思うのだ。自分でイチゴだけ買って足すなんて発想、私にはなかった。

 

自炊って何気ないものだと思う。日常なんだから。ゆで卵茹でたら自炊。お湯沸かして豆腐と味噌入れたら自炊。ホイップを泡立てたら自炊なのである。そういう本当に小さいところから、楽しいことから自分を満たすことを始めても良いのではないかと思う。自分が欲しかったものを自分で作って味わった時、不思議と幸福が何割か増す。それによって日々のいろんな嫌なことやストレスから少し解放される可能性が、自炊には秘められているのだと思う。

 

この本を読んで、そんなことを考えた。

 

私が次に行うアクション

・心が満たされるような、食べたいものを作る日を設ける

・ちょい足しのセンスを身につける

・好きな食材をメモにストックしていく

 

自分のために料理を作る: 自炊からはじまる「ケア」の話
山口祐加 (著), 星野概念(著)

 

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